71回目の終戦記念日、巷はリオデジャネイロオリンピックに浮かれ、この日に関連した番組も少ない。日本という国が愚かな争いを、その狂気がようやく終わりを告げた日。今では当時の様子を語る人も少なくなり、悲惨な出来事が歴史の中に埋もれようとしている。だからこそ、二度と過ちを繰り返さないように、この平和を失わないように見守らなければならない。
わたしの母は満蒙開拓団として外地に居た。一度だけ、終戦当時の話をきいたことがある。わたしはまだ幼く、その話を現実のものとして感じることが出来なかった。内地に戻るのも大変だったこと、ソ連兵の無慈悲な侵攻、このときに母が生きて戻ってこなければ、わたしはここに居なかった。
国策として多くの人が満州に渡り、荒涼とした大地を一心に耕し、その努力の甲斐なくソ連兵に追われすべてを失くした。それ故、わたしの母は国というものを信用していなかった。当時の母は10才位だったはずである。小学校4年生か5年生にとって、ソ連兵の傍若無人ぶりがどのように記憶されただろうか。
それでも母はシベリア鉄道で旅をするのが夢だと言っていた。憎いはずのソ連であっても、その雄大な光景に想いを馳せていた。もう少し詳しく聞いてみたいと思った時には、既に母親は鬼籍に入っていた。
最近の世界情勢はきな臭い。隣国の狂人はミサイルで脅し、広大な独裁国家は、かつてこの国が歩んだ道を踏襲しようとしている。そんな話を耳にする度に、人間の性を思い知る。
憎しみも争いもない世界が実現出来ないものか。
相手のことを思いやれる時代が来ないものか。
他人を妬まず、相手の痛みを感じ、自らが誠実だったか日々省みる。
これだけでもっと住みやすい世の中になると思うのだが。