歩道を暴走したり、トンネルで正面衝突したりと交通事故の報道が多い。連休で政治や企業の動きが少ないからなのか、テレビをつける度に目にする。わたしも一人の運転免許を与えられた人間として他人事ではないと考える。

今の運転免許制度は「取り難く取り上げられ難い」。つまり一度取得してしまえば、余程のことが無い限り剥奪されることがない。

少し前になるが、整形外科の待合室でこんな会話を耳にした。

「あんた免許の更新した?」

「うん、あの自動車学校で実地試験したとき、ちょっと擦ったけどなんともなかった」

「あんなものは形だけだからね」

通常、運転免許を取得する試験、特に仮免許取得のために場内で行われる試験では、路肩に埋め込まれた縁石を踏んだだけでも不合格になる。ましてやパイロンやパイプに擦ったりすれば失格である。

歳を重ねれば、反射神経は鈍くなり、視力も衰える。自動車の運転が、操作面では楽になってきているが、それ故、日常の慣れとしてナメているのではないだろうか。

「クルマが無いと生活できない」と多くの、特に地方の田舎に住む人たちは口にする。

公共交通機関が整備されていない地域が多いのも事実である。

先日、昼食を共にした病院経営者とそんな話をした。彼はわたしの意見に同調した。

運転がアブナイ人には、強制的に免許証を返納させて、自治体主導で住み替えを勧める。

クルマがなくても生活できる環境を与えることを、免許証返納の特典とする。

クルマは走る凶器だと言われる、その運転手が狂気だとしたら、とても恐ろしい話である。

住み替えを促すには、自治体の経費負担も大きくなると反論されるだろう。

でも、「狂気な凶器」が街中を走り回り、まったく落ち度のない人たちの生命が危険にさらされている現状を放置しても良いという理屈は成り立たない。

本来であれば、運転免許証を持つ人が自覚し、自主的に返納し、代替交通機関を確保するべきなのだが。

「人の命は地球よりも重い」との言葉がある。

その重い命を守るために、そろそろ本気で考える必要がある。

written by Yoshinobu Iriguchi