コンビニでコロッケパンを買おうとした。レジを通した時に店員がハッとした顔で商品を取り換えに行った。何なのかと尋ねると賞味期限が4分過ぎていると言う。わたしは構わないんだけどと言うと、規則ですからと返された。
その後の店員との会話に違和感を覚えた。
わたし:「世の中には食べられない人もいるんだけどね、こんなんで廃棄になるの?」
店員:「えぇ、ココ(コンビニ)は食べられる人が来るところですから」
確かにその通りだが、彼の言葉には冷たいものを感じた。飽食の時代、食品廃棄物を山のように発生させていて何の疑問も感じないのだろうか。
食べられない人たちを切り捨てるのが今の時代なのだろうか。
賞味期限にも疑問を感じる。
「おいしく食べられる期限」らしいのだが、保管状態によっても変わるだろうし、個人の味覚に依存するところも多い。
今回のコロッケパンは冷蔵ではなく、普通のラックに並んでいた商品である。取り換えられた商品の賞味期限は2時間後だった、不思議なものである。
以前、山奥の村に暮らしていたことがあった。コンビニなどなく、食品と日用品を売る小さな商店があって、そこで買い物をすることも多かった。賞味期限を半年も過ぎた冷凍食品が堂々と売られている。店番をしていたばあちゃんに尋ねると心配無いと言う。その商品にはびっしりと霜が付着し、乾燥によって痩せているようにも見えた。結局買わずに出たが、元々食料自給率の高いところだったから買う人がいないのかもしれない。もう20年近く前の話なので今はどうなっているかは分からないが、今でも変わってないような気がする。
今は何とか食べられ、生活できている人たちも、この先どうなるかは分からない。
年金は頼りにならず、かさむ医療費を賄うために様々な削減策が打ち出され、わたし達の老後は決して明るいものにはならない。食べられない人たちを見捨ててきたわたし達が、その状況に追い込まれる可能性が非常に高い。
あのコロッケパン、どうなってしまうのだろう、とコンビニの帰り道に考えた。
食べ物を大事にしろと叩き込まれた昭和世代のわたし、あのまま廃棄物になって捨てられる運命なのかと思うと悲しくなる。