今日もスーパーマーケットまでの、ほんの短い距離を走る間に怖い目に遭った。

わたしの住まいは埼玉西部、自家用車が無いと不便な地域である。

買い物や通勤で自家用車が必須、それは高齢になっても変わらない。潔く免許証を返納しても、公共交通機関は使い物にならないほどに不便。どこの辺地でも同じく、採算が合わないから運行数を減らす、少しでも赤字を減らそうとして運賃を値上げするという利用者減による不便スパイラルに巻き込まれている。

公共交通機関の都合に合わせて外出するのは、非常なストレスを感じる。まして、これまで自分の都合だけで出かけられていたものが、時間の制約を受けるのである。これでは苦痛以外の何物でもない。

わたしがかつて、避暑地として有名な軽井沢で不動産を扱っていたころ、田舎暮らしに憬れて移住を希望する方が多かった。都内の自宅を売却して軽井沢での不動産を手に入れたいと言う。そんなとき、わたしは異を唱えた。

「人間は老いていくものです、自家用車の運転ができなくなったとき、山の中の一軒家でどうするのですか?」と。町内の循環バスを使うにしても2時間に一本、バス停まで徒歩20分では買い物だけで一日が終わってしまう。不動産業者のセリフではないと言われたこともあったが、実際にわたしは後悔している方の話を嫌というほど聞かされていた。

限界集落という言葉がある。

わたしはまさに限界だと思う。もうその集落を捨ててもいいのではないか。何十年も住み慣れた地を離れるのは辛いかもしれないが、様々な状況を考えると、それも仕方ない。

少子化によって都内に空き家が増え、賃貸物件も空室が目立つようになってきている。限界集落に投じる金があるならば、そのような物件の有効活用を考えたらどうだろう。

わたし自身が「流浪の民」だからかもしれないが、その時々の状況で住まう場所を変えればいい。

気の遠くなるような住宅ローンに縛られず、気に入った街に住まう。

大豪邸でなくても、幸せな暮らしを創ることはできるのだから。

written by Yoshinobu Iriguchi