今日、さいたま地裁で、去年11月、クルマで川へ入り両親と心中を図った女性に対する判決が言い渡された。「人を殺してはいけない」ということは分かっている。ただ、今回の事件の経緯を見れば、したり顔で被告女性を責めることは出来ない。8年の求刑に対して4年の実刑。殺人と自殺ほう助、その罪状ならばもっと重い刑に処されるはず。情状酌量されているのはわかるが、わたしが予想していた執行猶予判決は無理だったのだろう。

この事件を最初に聞いたとき、わたしはとても切ない想いに捉われた。家計を支えていた父親の収入が無くなり、母親の認知症介護に忙殺される娘の心情は、その状況に落ちたことのない人には理解できない。

一家で死を選択するまえに、何とかすることは出来なかったのかと誰しも思うだろう。今、こうして冷静に、しかも部外者だから考えられるのだが、当事者にそれを求めることは酷かもしれない。この国では、どんな人であっても「最低限の文化的生活」が保障されている。もっと早く、切羽詰まる前に福祉に救いの手を求めていればと悔やまれる。

父親が娘に向かって「殺してくれ」と言う、その心情を思うと切なすぎてやりきれない。

認知症を患っていた母親は「生きたい」という意思を示したそうだが、それを否定して殺害に及んだ被告女性の気持ち。

被告女性はわたしとそれほど変わらない歳。急速に高齢化が進むこの国にあっては、これからも似たような事件が起こる。

戦後の日本をここまでにしてくれた、そんな人たちの最後がこれではやりきれない。

政局ばかりに気を取られ、自らの利権追及に走る政治家たち。

国民を大事にしない国は、社員を酷使して使い捨てにするブラック企業と同じである。

その行く末は「日本死ね」だろう。

弱者の声をしっかり聞き取れる代表が現れることを期待したい。

written by Yoshinobu Iriguchi