「さもしい」とは、「心がきたなくいやしい・あさましい」とある。この国や自治体の長たる人たちに対しても、「さもしい」と感じてしまう。東京都知事の会見を見ても屁理屈を正当化しようと苦しい言い訳を続ける。
「やっちゃったこと」は仕方ないのだからグタグタ言わずに謝罪すればいい。
「間違えでした」と金を返せば済むのなら、スーパーで万引きして見つかっても、その場で払えば許されるということ。
人の上に立つ人たちならば、自ら正しい行為を心がけるのが当然ではないだろうか。
日本人の「さもしさ」は日常の中でも感じるようになった。
最近、スーパーの陳列棚が乱れていることが多い。店員は品出しするときにはきちんと並べるはずなのにと、不思議に思って眺めていると、買い物客が少しでも新しいものを手に入れようと後ろの商品を掻き出していた。その方は乱れた列をそのままにして去った。乱雑に置かれた商品を見るのも、その「さもしい行為」を目にするのも気分が悪い。商品管理がキッチリなされた売り場にあって、賞味期限切れなど無いはずなのに、どうしてそんなことをするのだろう。
先週だったか、電車に乗る際、わたしは最前列右側に並んでいた。電車が到着し、降りる客が終わらないうちに反対側に並んでいた女子中学生が無理やり乗り込んだ。それを目にしたわたしの後ろの初老の男性がわたしを押してきた。思わず「おいおい」と口に出しそうになった。整列乗車は日本のお家芸ではなかったのか。それほど込み合う時間でもないので、その駅からの乗客はすべて着席出来た、彼女たちはなにごともなかったかのように談笑していた。
ちゃんと教えて貰えなかった彼女たちが気の毒で哀れだ。これから生きていく中で、他人から冷たい目で見られることが多くなるような気がする。わたしのことを、些細なことにウダウダ言うウザいオヤジだと思われるかもしれないが、それがこれからの時代を生きていく人たちのためなら、どんなに邪魔者扱いされようとも声を上げていきたい。
貧乏人と呼ばれても気にならない。
ただ、「さもしい人」と呼ばれないように生きたい。
written by Yoshinobu Iriguchi