自宅から飯能駅まで散歩を兼ねて歩いた。今日は国民の祝日、成人の日だが、玄関先に国旗を出している家が一軒も無かった。わたしが子供のころ、実家では必ず玄関に掲げていたのだが。「旗日、はたび」と言いながら喜び勇んで箱から出していた記憶がある。

では自分はどうなのか?と言われれば、安いアパートでの一人住まいを口実に国旗すら持っていない。いつからだろう、一般家庭で掲揚しなくなったのは。最近では近所の目が気になるのだろうか。日の丸を掲げれば右寄り、右翼の関係者ではないかと疑われることを危惧しているのだろうか。国旗を掲揚しない=愛国心が無いとは言えないだろうが、いくら問題の多い国であっても、わたし達はここで生きていかなければならない。国が崩壊でもしたら大変なことになるのだが、危機感を持っているひとは殆どいないだろう。

祝日が「動く」のも違和感がある。

わたし達の成人式は1月15日で、今でも成人の日と言えばこの日付の方が馴染みがある。週の途中で休むよりも効率がいいのかもしれないが、味気ないと思うのはわたしだけだろうか。

今年も「荒れた成人式」が映し出された。暴言を吐いて壇上の発言を遮ったり、舞台に駆け上がろうとしたり。とても「成人」とは思えないような行動である。小学校の学級崩壊と何ら変わらないレベル、自分が老いたときにこの映像を直視できるのだろうか。若さに任せて「ただ目立てばいい」とでも思っているのか。こんな「成人」を作り出してしまったのは、わたし達世代の責任。悪いことを悪いと教えなかったのだから。わたし達は近所の怖いオッサンに怒られたこともあったけど、今では怖いオッサンになると通報されるかもしれないと見て見ぬふりをする。お節介で「ウザい」オッサンにならないといけないのかもしれない。

わたし達の成人式は、県外から就職転入してきた女の子が多くて、とても華やかだった。中学校以来会ったことのない同級生、特に劇的に、サナギから蝶になる年齢なのだから見分けがつかなくて悪ガキ同士で固まっていた。普通に式典があって、役場前の広場で集合写真を撮って、公民館で茶菓子が振舞われた。今思えばとっても地味なイベントだった。成人という自覚を持つこともなく、久々に同級生に会えた嬉しさだけだったような。そういえば、同級生の中には成人式が終わったらタバコを止めると言ってた奴がいた。わたしは意思が強いので未だに吸い続けているが。

これからの世界を担っていく若い人たちにお祝いを贈りたい。

「成人式おめでとう」と。

written by Yoshinobu Iriguchi