引退したら静かな、眺めのいい、空気のオイシイところでゆっくり暮らしたい。と願う人たちが50代男性の半分もいるという。確かにゆったりと暮らしていければいいのかもしれないが、わたしはもっと若い頃に山奥移住した経験がある。その顛末を話そう。
30代最後の年、岐阜県の山奥に移住した。別荘地の管理人として夫婦で働けば、それなりに「いい暮らし」が出来ると説明を受けた。それまでは作業着を必要とする仕事はしたことが無かったが、地元の方が手伝ってくれるから大丈夫だと言われた。少しばかり不安を感じてはいたが、その地の澄んだ空気と樹々に囲まれた生活への憬れが上回った。
別荘地の事務所へ赴任してすぐ、とんでもないことを聞かされた、わたしたち夫婦で20人目だと。長い人でも3年、短い人はひと月で辞めていた。前任者は1年で突然辞めたらしい。その後の一週間でわたしたち夫婦はこの話がウソではないことを実感した。
広大な別荘地を一人で除雪しなければならない、まして、本州にあっても北海道の旭川と変わらない気温。降り続く雪は一日で1mを超える。雪の無い状態を見ていなかったので、別荘地内の枝道などはどこまでが道路なのか見当もつかない。そんな中で初めて運転するホイールローダーで黙々と除雪した。気温が低いだけあってサラサラの雪、さほど勢いをつけなくても除けることは出来る。調子に乗って走らせていたら道を踏み外した。片輪が小川に落ち、車体が大きく傾いた。もうパニックである、当時は携帯電話も通じず、徒歩で事務所まで戻った。30キロ離れた街からクレーン車をよんで、日暮れギリギリで仕事に復帰した。ある日は急坂の下りで除雪していて戻れなくなった。地元の方に引っ張り上げてもらったが、その先は急カーブ、曲がり損ねたら断崖から転落するところだったと言われ、背筋が寒くなった。
その後も日に日に業務が増えていき、わたしの妻が悲鳴を上げた。結局、わたしたちは3か月でこの地を辞することにした。
そのまま街で暮らしていればよかったのだが、わたしは辛い思い出はあったが、山奥の村に住みたかった。妻からは近所付き合いがウザいとまで言われたが、管理人をしていたときに懇意になった方のつてを頼って村人になった。
仕事の問題があった。山奥の村には公務員と土建屋、僅かばかりの観光産業従事者と商店主しかいなかった。ここで暮らしたい気持ちが勝っていたので、わたしは土建屋を選んだ。その土建屋の子会社、生コン工場の試験室に仕事を得た。
まだ若かったから対応出来たのかもしれないが、丸っきり畑違いの仕事。当時は高速道路の建設で村の中はバブル状態。初任給とは思えないほどの金が毎月振り込まれた。橋、トンネルなどの構造物の現場で試験作業をした。道路公団(当時)やゼネコンの施工管理担当者とも、ハッタリで互角に渡り合った。もともと技術屋ではないので、自分は営業職なのだと思っていた。
日々の暮らしもゆったりしていた。村には様々な行事があり、わたしは積極的に参加した。毎月、地区の住民集会があり、役場からの伝達事項が区長からなされたあとは宴会が始まる。ビールなどはない、熱燗の日本酒がヤカンで回される。湯呑に並々と注がれた熱燗を飲み干さずに置くのは無礼だと言われる。日本酒は苦手だったが、慣れというのは不思議なもので、村のしきたりも苦にならなくなった。その他にも村の祭支度や演劇では舞踊を披露し、芝居にも参加させてもらった。和太鼓の仲間入りもし、結婚式やイベントにも招かれてステージを経験した。唯一、消防団だけは年齢制限に引っかかり入団出来なかった。
バブルは弾けるものである。高速道路が完成すれば土建屋の仕事は激減する。当然、「ヨソモノ」のわたしが真っ先に人員整理ターゲットになる。その時を待つまでなく、わたしは職を辞した。そこで街へ戻ればよかったのだろうが、わたしにはその選択肢がなかった。村おこし委員会のメンバーにもなっていて、村長とも普通に話ができ、村民集会でも物怖じせず発言をしていたので、このまま何とかなると思っていた。新しくできる観光施設の支配人のオファーもあった。ただ、それまでの半年が乗り切れない状態だった。妻はわたしのもとを去り、そのまま一人暮らしのオッサンになった。あのまま耐えていられればどうなっていたのかは分からないが、縁がなかったのだと納得した。村から去ったわたしを、一番懇意にしていたひとは「裏切者」と呼んだ。
田舎への移住を考えているひとに警鐘をならすつもりはないが、郷に入っては郷に従えのコトワザ通り、様々なしきたりがあり、街中ほどプライバシーは尊重されない。ドライな人間関係を望むのではあれば、田舎には行かないほうがいい。
もう一つ、人は老いるものであるということ。公共交通機関など無いところでクルマの運転が出来なくなれば、文字通り「引きこもり」に陥る。体調不良や介護が必要な状態になれば尚更である。
元気な頃から田舎へ移住させようと政府は仕向けているが、この条件に合う人は僅かではないかと思う。
歳をとったら都会に住んだ方がいい、何と言っても便利だから。
日本版CCRCに踊らされないように、自分がどう生き、どう終わりたいのか。冷静に考えなければならない。
written by Yoshinobu Iriguchi